テクノロジーの進化によって、あらゆる業種の自動化が進む現代。生産性の向上とコスト削減の名の下に、企業はこれまで以上に人件費の削減に注力している。しかし、その先に待っているのは、労働者不在の経済社会だ。では、本当にAIがすべての仕事を奪った場合、誰がモノやサービスを買い支えるのか?
企業は労働者を減らすことに全力を注ぐ
歴史的に見ても、企業は常に人件費を削る努力をしてきた。ダウンサイジング、外注化、リストラ、そして今はAIによる自動化。AdobeのAI搭載機能によって、画像の切り抜き作業さえ人手不要となり、単純作業の雇用は次々に姿を消している。
例えば、コンタクトセンターでは、AIを導入した企業が1年以内に約26%の人員削減を実施したというデータもある。これは一部の産業の話ではなく、世界規模で起きている現象だ。
フォード神話の終焉と購買力の崩壊
かつて、某企業が従業員の給料を倍にして「自社製品を社員が買えるようにした」という逸話が語られたが、真実は別だった。実際には離職率の低下と競合他社への人材流出防止が狙いだった。
現代の企業は、むしろ社員が製品を買えなくても構わないと考えているようだ。なぜなら、資産を持つ富裕層向けに特化した市場が、すでに形成されているからである。
ゲーム業界に見る「金持ち向け経済」の完成形
無料プレイが主流となったゲーム業界では、課金ユーザー「Whales」が市場を支えている。彼らは数十万、時に数百万を1本のゲームに投資する。それを支えるのは、無数の非課金ユーザーという「観客」だ。
これは、新しい経済モデルの象徴でもある。一般大衆はコンテンツの一部として残され、収益の源泉は富裕層による徹底的な消費活動となる。
富の偏在と「労働の終焉」
現代の経済では、「働いて稼ぐ」ことではなく、「資産を所有する」ことこそが富の源泉となった。労働の価値は下落し、資産価値は上昇し続けている。この構造にAIが加われば、人間の時間的労働はほとんど価値を持たなくなる。
その一方で、ベントレー、ランボルギーニ、プライベートジェットなど、超高額商品の市場は拡大を続けており、超富裕層向けの経済圏はかつてない活況を呈している。
ベーシックインカムは解決策か?
労働が不要となった世界で、唯一現実的な「救済措置」として語られているのが、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)だ。すべての人に一定額を支給するこの仕組みは、最低限の生活と消費活動を支えるための社会的装置となり得る。
しかし、実験データからも明らかなように、UBIは万能ではない。生活費の補填にはなるものの、根本的な「生きがい」や「意味の喪失」は回避できない。働くことを前提に構築されてきた人間社会において、「ただ生きる」だけでは幸福感は長続きしない。
二極化する未来への備え
AIによって仕事を失う社会では、人々は「資産所有者」か「国家からの生活支援を受ける者」に二極化する。これは、働く意義や社会とのつながりを根底から問い直す大変革だ。
今、問われているのは技術そのものではない。誰がその恩恵を受け、誰がその代償を払うのかという、社会構造の分配の問題である。AIがもたらすのは単なる自動化ではなく、価値観の再構築を迫る文明レベルの変化なのかもしれない。
結語
もしAIが全ての仕事を奪ったとしたら、問題は「生きていけるか」ではない。「どう生きるか」だ。
一部の人間だけが利益を享受する社会にするのか、それともすべての人が恩恵を受けられる構造に設計し直すのか。その選択権は、まだ私たちに残されている。