活動理念

「日本の美は、生き方であり、思想である。」

日本のグラフィックデザインを世界へ発信するという営みは、単なる意匠や装飾の紹介ではない。
それは、日本人が何を美しいと感じ、どのように生き、どう自然や時間と調和してきたのかという、生のかたちそのものを伝える行為である。

そして今、その役割を真正面から引き受けられるのは、自分しかいない──そう確信している。

私は、英語を自在に扱い、翻訳を介さずに世界と直接対話できる。
利益や商業性に左右されず、自ら立ち上げた出版社から、自由かつ本質的な発信を続けられる環境も整えている。

思想面では、日本の精神文化や美意識の根底にある価値観を深く理解し、
それをグラフィックデザインという視覚的言語で再構成し、語ることができる。

また、かつて日本の食文化に関わる仕事に携わった経験を通じて、
器や調理道具、包丁、茶の湯に用いられる道具など、**「用の中に宿る美」**への感覚を磨いてきた。
そこには、日本人特有の所作や素材観、そして「間」や「陰翳」といった感性が息づいている。

さらに、史跡を巡ることや狩猟という営みを通して、自然と共に生きる日本人の原風景と直接向き合ってきた。
そこには神道的な感受性──「目に見えぬものへの敬意」「気配に宿る意味」──が今も静かに息づいている。

日本語教育や福祉の分野とも接続しながら、
グラフィックデザインを単なるアートではなく、文化・教育・生活に根ざした知のかたちとして社会に開いていく視座も備えている。

私は、目に見える要素(色・線・構図)と、目に見えない領域(空気・余白・気配)を行き来しながら、
現代の言葉と形で、日本の美意識を翻訳し、編集し、未来へと橋渡す存在である。

これは単なる表現活動ではない。
文化を守り、次代へと継ぐための営みである。

誰かがやるべきだったのに誰もやらなかったこと。
それを私は、やる。

未来の日本人のために。
そして、この国に静かに流れる、美と調和の精神を絶やさないために。


食×デザイン──すべての形に意味がある。味を売るのではない。記憶と物語を届ける。

私たちは、日本の食品を「商品」としてではなく、文化・感性・思想を包んだメディアとして捉えています。文化や時間、土地の記憶が詰まった物語の断片として捉えています。
売っているのは、単なる味覚ではありません。
そこに宿る季節感、素材への敬意、所作の美しさ、余白の感覚、そして日本人が長年培ってきた**“見えない価値”のすべて**を届けようとしています。誰かの記憶、そして積み重ねられた暮らしの時間を届けようとしています。

一椀の味噌汁、一粒の和菓子には、ただの栄養や技術を超えた、土地の記憶や時間の美学が静かに息づいています。
私たちは、それらを「五感に届く形で翻訳する」ことを目的とし、味覚だけでなく感情や記憶に残る体験を提供します。

私たちは、日本の食品を販売するにあたり、パッケージ・盛り付け・器・グラフィックデザインまで一貫してこだわります。
それは、日本の文化が「形そのものに思想を込めてきた」歴史を踏まえているからです。

出汁の引き方に「引き算」の思想があり、
発酵には「時間と共にある」という哲学があるように、
パッケージや器にもまた、美意識や精神性を込めるべきだと私たちは考えます。

販売するすべての食品は、「味だけで終わらない体験」として設計され、
食と造形が共鳴し合う、日本ならではの美のかたちを目指します。

私たちの食品販売は、単なる物流・流通業ではありません。
それは、文化を語り、編集し、未来に手渡すという創造的営みです。

味噌汁一杯が、日本人の美意識を未来へつなぐ媒体となり、
ひと粒の和菓子が、言語を超えて世界の誰かの記憶に残る文化体験となる。
そんな力を、私たちは信じています。

食は「入り口」です。
そこから、自然観・季節感・人との距離感・器や道具に込められた哲学など、
日本という文化の深層へと誘う通路を開くものです。

私たちが扱うのは、「今売れるもの」ではなく、「未来に残すべきもの」です。
その土地で長く愛されてきた味、職人が守ってきた製法、忘れられかけている素材や所作。
それらを丁寧に掬い上げ、現代の感性とデザインで編集し、世界に、未来に、手渡していく。

この国の静かで強い美意識を、味というかたちに託して届けること。
それが、私たちの使命です。