検索すればAIが結論を返す。
それでも人は文章を読み続ける。この現象は矛盾ではない。情報の役割が分離した結果である。
AIは答えを出す装置になり、ブログは判断を形成する装置になった。
両者は競合ではなく、担当領域が違う。
なぜ答えがあるのにブログを読むのか
結論
人は正解では行動できず、納得で行動するから。
AIが出す回答は統計的に妥当な平均解である。
しかし人間の行動は平均条件では発生しない。条件・状況・性格が絡むため、必要なのは答えではなく「自分に当てはめる基準」になる。
ブログには選択の過程が残る。
何を比較し、何を捨て、どの条件なら成立したのか。ここに判断の再現性がある。
AIは最短距離の結論を与える。
ブログは結論に至る思考を与える。
読まれる理由はここにある。
なぜ人格のある文章が信用されるのか
結論
信用は正確さではなく一貫性から生まれる。
AIは常に正確性を目指すが、主体を持たない。
ブログは時間を通した同じ評価基準を持つ。
同じ条件で同じ判断を繰り返す記録は、読者に予測可能性を与える。
予測可能性が信頼になる。
つまり
正しい情報 → 参考
一貫した判断 → 信用
ここに読む価値が発生する。
例外的な問題でブログが役立つ理由
結論
平均化できない状況では平均解が機能しない。
AIは多数の事例から答えを作る。
特殊な環境、ニッチ分野、失敗過程では事例が少ないため精度が落ちる。
ブログは逆に、少数事例の蓄積で価値が上がる。
経過記録や試行錯誤がそのまま解決策になるためである。
一般論はAI、条件付き現実はブログ。
役割が分かれる領域で需要が残る。
書く意味はどこにあるのか
結論
書く行為は知識の保存ではなく思考の形成になる。
理解は頭の中では完成しない。言語化した時に構造が現れる。
文章化すると、曖昧な理解と論理の飛躍が露呈する。
その修正を繰り返すことで判断基準が固定される。
固定された基準は履歴になり、履歴は信用になる。
SNSは瞬間の評価を得る。
ブログは時間の評価を蓄積する。
書く意味は発信ではなく、判断履歴の構築にある。
AI時代にブログが残る理由
AIは最短距離で答えを得るために使われる。
ブログは選択を確信するために読まれる。
読む意味
思考の基準を得る
書く意味
思考の基準を作る
情報が自動生成されるほど、判断の出どころが価値になる。
ブログはその出どころを記録する媒体として残る。